人はなぜ、趣味を続けてしまうのか

  ーーまた、始めてしまう不思議

気づいたのは、あるときでした。

「なんで、こんなに楽しいんだろう?」

私の趣味は、シニアで始めたパークゴルフです。
正直に言えば――楽しくて仕方がない。

体力と時間があるなら、
いつまででもやっていられるし、やっていたい。

自分でも少し不思議に思い、
その理由を考えてみました。

技術の向上をめざし、ライバルに勝つためからか。
仲間がいるからか。
外で体を動かすからか。

どれも間違いではない。
けれど、どれも決め手にならない。

どうも、しっくりこないのです。

そんなとき、ふと思いました。

これは本当に「楽しいから」なのだろうか、と。

徹夜で麻雀をしたり、囲碁に没頭したり、
朝まで酒を飲んだり、カラオケで声が枯れるまで歌ったり。

たとえば――

あるところまでは「楽しい」し、まったく飽きが来ない。
時間も忘れ、疲れも感じず、ただ続けてしまう。

けれど――

体力が尽きる。
時間がなくなる。
お金が底をつく。

その“限界”に触れた瞬間、「楽しい」という感覚はすうっと消え、
不思議なくらい、何の抵抗もなくやめられるのです。

未練がましく引きずるわけでもなく、
意外なほどあっさりと終わる。しかしまた次の日になると――
何事もなかったように、やり始めている。

この繰り返しは、一体何なのか。

楽しいから続けているのか。
それとも、やめられないのか。

どちらも当てはまるようで、
どこか違う気がします。

むしろそれは、
「楽しい」という感情に包まれて、
その中を漂っているような感覚に近いのかもしれません。

そして、あるところまで行くと、自然に岸に戻る。
無理にやめるのではなく、すっと離れる。

けれどまた、気がつけば同じ流れに入っていく。

趣味とは、そういう“波”のようなものではないでしょうか。

――ただし。

ここまで書いてきて、

見落としてはいけないことがあります。

この「楽しくて仕方がない時間」は、
決して当たり前に存在しているわけではない、ということです。

健康であること。
やろうという意欲があること。
それに使える時間があること。

さらに言えば、
多少の経済的な余裕、
そして家族の理解。

こうした条件が揃って、はじめて
人は安心して趣味に没頭できます。

どれか一つ欠けても、
この“自由な時間”は簡単に揺らいでしまう。

そう考えると――

好きなことに夢中になれるというのは、
とても恵まれた状態なのかもしれません。

そして、もう一つ大切なことがあります。

それは、趣味は仕事ではない、ということです。

生活を支えるためのものではなく、
それを失っても、明日が立ち行かなくなるわけではない。

たとえばゴルフで言えば、
プロとアマチュアの違いが分かりやすいでしょう。

プロは結果を求められ、
その一打一打が生活に直結します。

一方で趣味としてのゴルフは、
たとえうまくいかない日があっても、
それ自体が生活を脅かすことはありません。

この違いは、技術の差以上に大きい。

厳しさの質が、まったく違うのです。

だからこそ人は、
結果に縛られすぎることなく、
その時間そのものに没頭できる。

それでも人は、
疲れていても、うまくいかなくても、
またその時間に戻っていく。

それは義務でもなく、強制でもない。

けれど確かに、自分を引き戻す力がある。

趣味とは――
自分で選んでいるようでいて、
どこかで自分が引き寄せられているもの。

そして同時に、


いくつもの条件に支えられて成り立っているもの。

そんな存在なのかもしれません。

※ 本記事は筆者の原案をもとに、読みやすさを考慮して構成を整えています。

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