低山で膝が悲鳴…それでもまた山へ

――高齢者の小さな再出発

はじめに

今日は妻と二人で、近くの低山を歩いてきた。
標高差はおよそ470m。登りは1時間10分、下りは1時間。

数字だけ見れば――悪くない。
むしろ「なかなかやるじゃないか」と、自分を少し褒めたくなる。

ところがである。

問題は、やはり下りだった。

後半に入ると、膝と太ももがじわじわと主張を始める。
「おいおい、まだ終わってないぞ」と言いたいところだが、
向こうもなかなか頑固だ。

妻も同じような状態で、
二人して“慎重派登山家”に早変わり。

スピードより安全第一。
いや、正確には「これ以上悪化させないが第一」である。

まだ「時間は十分にある、ゆっくり、ゆっくり」と、呪文を唱えるように歩き、無事下山。

それでも不思議なことに、平坦な道に出ると普通に歩ける。
さっきまでの痛みは何だったのか。

どうやら膝というのは、
気分屋らしい。

大朝日岳での楽しくも苦い思い出

こんな時は、昔の記憶がよみがえる。

5年前、10月初め。
私は1泊2日で、憧れの大朝日岳に登った。

天候にも恵まれ、山頂からの眺めは格別だった。

疲れもほとんどなく、体調は良好。当時は体力に少々自信があった。
いや、今思えば“自信満々すぎた”のかもしれない。

その夜、山小屋では寒さに震え、ほとんど眠れずに、
「これは修行か?」と思いながら朝を迎えた。

そして下山。

後半、膝に違和感。
やがてそれは「違和感」から「はっきりした痛み」へと昇格した。

ありがたくない昇進である。

結局、8時間以上かけて下山。
あの時の私は、間違いなく“膝と交渉しながら歩く男”だった。

今日の気づき(成長している…かもしれない)

今回の低山でも似たような兆候はあった。

だが、ひとつ違う。

👉 早めに気づいた

そして素直にペースを落とした。

これだけのことだが、結果は大きい。
無事に下山できたし、致命的な痛みにはならなかった。

もしかすると――
ほんの少しだけ、学習しているのかもしれない。

下りは「気合い」ではなく「技術」

どうやら登山というのは、
「登りで頑張る競技」ではなく
「下りで失敗しない競技」のようだ。

今後はこうしてみようと思う。

・歩幅を小さくする(大股は禁止令発動)
・膝は軽く曲げる(ピンと伸ばさない)
・足はそっと置く(ドスン禁止)

要するに――
静かに歩ける人が強いということらしい。

なんだか、人生と似ている。

三日坊主、再び

さて、もうひとつの問題。
それは筋力である。

だが私は三日坊主である。
これは疑いようのない事実だ。

しかし最近、こんな話を聞いた。

「やりたい時にやればいい」

禁煙の話だったが、妙に腑に落ちた。

無理にやろうとすると続かない。
だが「やってもやらなくてもいい」と思うと、なぜか少しやる。

人間とは不思議なものだ。

とりあえず、スクワット10回。
気が向いたらやる。

向かなければ――その日は見送る。
(見送りすぎないように注意は必要だが)

これからの作戦

今夏、想い描く山がある。

もちろん、若い頃のような無茶はしない。無茶をしようにもできない。
無茶をすると、あとで膝に怒られるからだ。

これからは

・無理をしない
・頑張りすぎない
・でもやめない

この三本柱でいこうと思う。

最後に

今日の山は、少し悔しさが残った。

だが同時に、こうも思った。

👉 まだ歩ける

これは大事な感覚だ。

速くなくていい。
格好よくなくていい。

ただ、自分のペースで歩き続ける。

そして時々、膝と相談する。

(できれば穏やかに話し合いたいものである)


また歩こう。

力まずに、少し笑いながら。

※ 本記事は筆者の原案をもとに、読みやすさを考慮して構成を整えています。

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