似て非なるモラル・マナー・エチケット――ある気づき

高齢になり振り返って気づいたこと

年を重ねると、不思議なもので、
若い頃には気にも留めなかったことが、ふと心に引っかかるようになります。

人の振る舞いであったり、
言葉の端々であったり、
あるいは、何気ない態度であったり。

「ああ、この人は感じがいいな」
「逆に、どこか引っかかるな」そんな感覚の正体を、
最近ようやく言葉にできるようになってきました。

モラル・マナー・エチケットというもの

ここで関係してくるのが、
モラル・マナー・エチケットという三つの言葉です。

似ているようで、実はどこか違う。
そして、その“違い”こそが、私たちの印象を大きく左右しています。

まずはシンプルに整理すると、

モラルは「人としてどうあるか」という内面の部分。
マナーは「社会の中での振る舞い方」。
エチケットは「相手への気配り」です。

若い頃は、正直に言えば、
どれも同じようなものだと思っていました。

けれど今振り返ると、
それぞれに、はっきりとした違いがあったのだと感じます。

思い出す人がいます。

口数は多くなく、言い方もぶっきらぼうで、
決して愛想がいいとは言えない人でした。

けれど――
約束は必ず守る。
嘘はつかない。
人の見ていないところで手を抜かない。

いわゆる、

「振る舞いは粗野だが、ルールはよく守り、嘘はつかない人」

という言葉が、そのまま当てはまるような人でした。

若い頃は少し距離を置いていましたが、
いつの間にか、安心して仕事を任せられる存在になっていました。

今にして思えば、
あの人には、静かながあったのだと思います。

そういえば、若い頃にはあまり意識しなかった言葉に、
「立ち居振る舞い」というものがあります。

当時はどこか、形ばかりを整える堅苦しいもののように感じていましたが、
年を重ねた今、ようやくその意味が少し分かるようになってきました。

それは決して、大げさな作法のことではなく、
日常の中にある、ほんのわずかな所作や態度の積み重ね――
そんなものなのだと思います。

例えば、
人の話を聞くときの姿勢であったり、
物の扱い方であったり、
何気ない場面での言葉の選び方であったり。

そうした一つひとつに、
その人のこれまでが、静かに表れてくる。

今になって思えば、
あの人には落ち着きがある、と感じた人たちは、
きっとこの「立ち居振る舞い」が自然と身についていたのでしょう。そしてそれは、無理に作ろうとしてもできるものではなく、
その人の生き方や心の持ちようが、少しずつ形になったものなのかもしれません。

一方で、こんな人にも出会いました。

言葉遣いは丁寧で、
身だしなみも整っている。

いわゆる「きちんとした人」です。

ところが、
人によって態度が変わったり、
都合のいいことを言ったりする場面を見てしまうと、

心のどこかで距離を置いてしまう自分がいました。

あの違和感も、今なら分かります。

形は整っていても、
どこかに落ち着かないものがあったのです。

振り返ってみると、
私はずいぶん勝手に人を見てきたものだとも思います。

忙しいときには、言い方がきつくなり、
余裕がないと、相手への配慮を欠くこともありました。

後になって、
「あれは少しまずかったな」と思い返すことも、一度や二度ではありません。

それでも、こうして長く生きてきて感じるのは、

人はやはり、
表に見えるもの以上に、
内側にあるものを感じ取っているのだということです。

マナーやエチケットは、もちろん大切です。
けれど、それだけでは足りない。

最後に

最後に残るのは、
その人がどういう考えで生きているのか、
どう人と向き合っているのか――

そういうところなのだと思います。

そして、その積み重ねが、
気がつけば、その人ののようなものになって表れてくる。

派手さはなくても、
言葉にしづらくても、
どこか安心できる人がいるのは、きっとそのためでしょう。

私自身、まだまだ未熟ですが、
せめてこれからは、

人として恥ずかしくない在り方を、
日々の立ち居振る舞いの中で、
少しずつ意識していけたらと思っています。

それがほんのわずかでも、
自分なりの「品」としてにじんでいくのであれば、

 それだけで十分なのかもしれません。

※ 本記事は筆者の原案をもとに、読みやすさを考慮して構成を整えています。

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